
イエスの処刑は、金曜日の朝から始められました。午前9時ごろ十字架に付けられ、道行人々
は、好き勝手にイエスをののしっていました。
ところが12時になったとき、全地が暗くなったというのです。過ぎ越しの祭りのときですから、日
食ではなく、超自然的な出来事として、エルサレムのあたりが暗くなったのでしょう。人々は、不
安に駆られたに違いありません。ポストモダンといわれる現代、絶対的な基準を否定して幸福
で満ち足りたように生きている人々の心には、実は暗雲が垂れ込めているような状況ではない
でしょうか?
それから3時間ほどたったころ、イエスは叫ばれました。それは何と、「神よ、どうしてわたしを
お見捨てになったのですか?!」というものでした。これを聞いた人は、酸いぶどう酒を飲ませよう
とし、エリヤが助けに来るかどうか見てみようではないかと、ますますイエスをあざけったのでし
た。
エリヤばかりか、天使さえも助けに来ませんでした。自ら十字架から降りることも無く、誰も手を
出さず、神からも見捨てられた御子が、十字架にさらされているのです。このような大いなる辱
めの中で、私たちの罪のために死に渡され、私たちに愛を注いでくださった方が、御子イエス
キリストでした(1ヨハネ4:10)。
そしてついにイエスは息を引き取られたのです。「完了した」「父よ、私の魂を御手にゆだねま
す。」これが、最期のことばでした。
そのとき、不思議なことが起こりました。神殿の幕が、上から下まで真っ二つに裂けたのです。
神殿の内陣、至聖所と聖所の間を隔てている幕が、裂けたのです。それは、もはや律法によ
る救い、動物の犠牲をささげることによる罪の許しではなく、イエスキリストという新しい幕屋を
通して、神の国にいたる救いが開かれたことを表す出来事でした(ヘブル10:20)。行いによって
救いを得るのではなく、恵により、信仰によって救われることを表しているのです(エペソ2:8,9)。
イエスキリストを信じることによる罪の赦し、天国への道行きを体験されていますか?
マタイの福音書には、このとき多くの聖徒が生き返ったことが書かれています(マタイ27:52,53)。
これは、イエスを信じるものが受ける永遠の命、復活の希望を表しています。イエスの十字架
は、実に、復活まで続く出来事なのです。
イエスの正面に相対していた百人隊長は、イエスが神の子であることを認めざるを得ませんで
した。信仰の告白をしたのです。彼はイエスを十字架に張り付けた人であり、信仰よって救わ
れることを、今日の私たちに示してくれるひとともなったのでした。
イエスの十字架の死は、新しいける道を開く、歴史の出来事だったのです。
引用聖句
1ヨハネ4:10 たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめ
の供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
ヘブル10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける
道を設けてくださったのです。
エペソ2:8,9 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身
から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることの
ないためです。
マタイ27:52,53 また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。そして、
イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都にはいって多くの人に現われた。
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